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ブログの更新を無期限で休止します。
見てくれてた数人の方にごめんね。











お彼岸には墓参りに行って 梨を送ります

そして、さいごに宇宙戦艦ヤマトである。
波動エネルギーである。
まったくの架空のエネルギーではなく、知り合いの大学教授の協力をえたアイデアとの事だが、まあ、小松左京も日本沈没の時にもそんな話を聞いたので、SF作家のいうことは鵜呑みにできない。
で、調べてみると、波動エネルギーとは宇宙エネルギーを動力に変換するらしい。宇宙エネルギーとは宇宙大部分の質量を占める存在でありながらしかと確認できていない、ダークマター=暗黒物質のことである。
いきなり物理学っぽくなってきた。
暗黒物質とは観測はできないでいるが、存在するにちがいないという理論上の物質で、これがないと宇宙の膨張の加速など説明できないことがあるので、存在するにちがいないということらしい。もちろんアニメではなく現代の科学の話である。
時々新聞で、見つかったの見つからなかったのと、騒いでいることがある。ニュートリノが最有力候補ともいうが、宇宙全体に万遍なく存在していて、計測器も人間も感じつことが出来ないなら無いも同然のように思うが、さにあらず。
存在するということは質量があるということで、すなわち質量はエネルギーに変換することができるわけだ。
かくして、宇宙戦艦ヤマトはほぼ永遠とも言えるエネルギーをたよりに復活し続けたわけだ。
わたしはあまり見てなかったけど。
用事があり高校の通学以来30年以上ご無沙汰のチンチン電車に乗る
北畠までわずか七分
あの頃は長く無駄な時間に感じたものだが、今はむしろ懐かしむのにも短すぎる
七分ボーっとするのを惜しんだ頃が羨ましい



母が言った。
わたしは明日の朝六時から用事があるので、あなた(息子である私のこと)は勝手に朝ごはん食べて行ってね。
わたしは朝ばたばたすることが多いので、ヨメのつくったおにぎりを朝ごはんにすることが多いのだ。
で、明日のあなたたちの朝ごはんはどうするの?と聞くと、9時には帰るので、それから食べるとのこと。
じゃあ父は?
母は父を見ながらこういった。
「それまで寝てて」
ところで私の愛するスタートレックの世界ではエネルギー問題はどうなっているかというと、エンタープライズをはじめとする連邦の宇宙船は物質と反物質を衝突させて生ずるエネルギーを動力源としている。
また、連邦に対抗する勢力であるカーデシアの戦艦はマイクロブラックホールを動力源にしている。どちらも科学的な裏づけのある設定のようだが、ひとつ間違えると宇宙ごと消滅していまう技術であり、原発事故の比ではない。
現実に人類が制御できる日をこの目でみることはまず無理だろう。
そういえば、水爆実験が行われたときに、核融合反応が連鎖して、一瞬に地球上の酸素が消滅するのではないかと真剣に心配した科学者がいたと聞いたことがある。
そもそも想定外と想定内の線引きをするこは厳密には想定できないのであって、何が起こるかわからない中で何かに事前に対応することもできないはずだ。
唯一の予防手段は、わからないことはやらないということなのだが、なかなかこの選択には勇気がいる。
かくして人類は未踏の事象にチャレンジを続けるのだが、ありがたいことに宇宙が消滅したり、ブラックホールに飲み込まれたりはしていないので、全宇宙的にみても、無難にやつているというとなのだろう。
ホーキング博士がタイムマシンを否定した根拠は、肯定するとタイムパラドックスでたいへんなことになるが世の中そんなことになっていないので、タイムマシンは開発不可! !というものであったのを思い出した(ちょっと乱暴で文系的な言い方でしつれい)
宇宙が誕生して百億年以上たつのに、案外のほほんと地球で生活できているということは、宇宙中の人たちはみんな地味に暮らしているのか?
人類だけが、身の丈を超えてチャレンジし続けているのか?
そうだとすると、全宇宙に対して申し訳ないことにならないといいけど。原発の比ではないからね。
ポイントは e=mc² です。
アインシュタインの特殊相対性理論から導かれるらしい理屈にこの有名な公式があります。
理系ではないわたしにはくわしく説明ができるわけではありませんが、要するにエネルギーと質量は等価であるということです。
すなわち、エネルギーというの質量なのだということで、いいかえると存在は物理学的な意味でのエネルギーそのものだということです。
核分裂ゃ核融合はよくわからないしくみで( 文系の人間にとっては・・・)原子のひとつがあまってしまい、それは行き場をうしなって本来のエネルギーに変換される、すなわちエネルギーが放出されるということです。存在が存在の形を失った瞬間、はれはそれは物理学的な意味でのエネルギーに姿をかえます。代表的なことでいうと、熱と光に変わるのです。
文系的に考えると、何かを何かの状態の型にはめるということにはエネルギーが必要。すなわち手間がかかるということです。ですから、それが逆になると手間というエネルギーが逆算的に発散されるということです。
エントロピーというのも同じことです。
すべてのエネルギー(ということは質量なので存在ともいいかえれる)は無秩序 のほうが安定しているので自然はその方向を好みます。部屋をきれいに保つにはエネルギーがいるけど、何にもしないと乱雑になる。でも、本来は乱雑な状態のほうが安定しているので、無理にエネルギーを使って掃除などもせずに、自然ほうが自然の流れに即しているのです。
逆に言うと、その流れに逆らうにはエネルギーが必要であり、エネルギーを費やしてその形を安定させた存在はエネルギーそのものであるということです。
こうも考えられませんか?
いなかで山と川に囲まれて、わずかな農業とともにゆったりとした暮らしをしていれば、十分人生を満喫できるのに、わざわざ都会に出かけて、ストレスのたまる仕事をして、それでいで稼いだ金は都会でのカロリーの高い食事や、情報をあつめるための機器に費やしてします。
人間=物質=質量 すなわち存在そのものが、その存在そのものを確認しようと身悶えれば身悶えるほど、またエネルギーを消費して、エントロピーが減少する。すなわち、自然と逆方向に舵をとり、そのことそのものにエネルギーを消費する。
なぜそんなことになるのか。
それは、e=mc² だからなのです。


グーグルのニュースでとんでもないものを見つけた。
「米国で2030年をめどにレーザー核融合」を実用化する研究がすすんでいて、日本もの対抗馬として有力に研究を進めていると。
核融合・・・簡単にいってくれるじゃないの。
さらに、核融合は太陽で起こっている原理と一緒で・・・・とな。
あっさり言ってくれる。
科学担当の記者が書いているのだろうから、ド素人のわたしがとやかくいうことではないが、なにしろ、あの、核融合だからね。そう簡単にそうですかとは言えません。人類の一員として。
たしかに、核分裂とちがって放射能がほとんどでないというクリーン技術。夢のエネルギーなんだが・・・ただ、それだけに実現しそうな予感がなかった。
そもそも、今はやりの自然エネルギーというのには、ある意味懐疑的なものをもっている。
というのは、いくら自然エネルギーを利用しようとも、50億年後に太陽が消滅するとそれには頼れないわれで( もちろん、実際は地球も同時に消滅するけど)やはり、パンドラの箱をすでに開けた人類にとっては、科学技術を進めていくしか、袋小路に進まない手段はないのだ。
( とはいうものの、二百億年後の袋小路を回避できるかどうかまではわからないけどね。
てなわけで、何回かエネルギーについて語ってみます。
二百億年後を視野にいれて。
ある昼過ぎのプリン(ノーメイク?)


夜は勝負顏???
品揃えはいいと思うのですが‥‥
湿度が高いからかなぁ




酒の話題である。
帰りの電車で飲むためにコンビニで物色していると角瓶のハイボールをみつけた。
これは懐かしい、ということで飲んでみるとこれまた懐かしい味。そもそもウィスキーを飲むということがすくなくなった。
一昔前はカラオケのあるスナックでよく夜なべを過ごし、そのときは水割りであったわけだが、案外角瓶は飲まなかった。
サントリーではなくニッカがほとんどだった。そのほうが原価が安いのでママはサントリーなんか勧めなかったのだ。ああ、なつかしい。
では、なぜ角瓶がなつかしいかというと、学生時代のことである( 時効だと思うので言う)
私は高校三年くらいから酒を愛していたわけだが、そのアイテムが角瓶の水割りに決まっていた。我が家は父が酒を飲まないので晩酌という習慣がなかった。
一方で、父は自分が酒を飲まなかったことでいろいろと苦労をしたのでということで、息子の私には早くから酒解禁であり、我が家の台所には角瓶が毎日用意されていた。
話は変わるが、最後の晩餐について、私の選択がきんきんに冷えたビールとカルビーのポテチといったことがあるがこれは嘘。実はビールではなくで角瓶の水割りであり、これは高校時代にポテチと水割りでラジオでヤンタンを聞いていたのである。
( 時効だよね・・・)
で、この話のクライマックス。
そのコンビニの角瓶ハイボールを飲んでいる数時間前、私はヨメとしゃれた焼きとり屋さんにいた。
しばらくすると、少し離れた席にカップルが。
暗いし、少し離れているが、まあ、40代ではないかなあ。
で、男性は注文する 声がもれて聞こえてきた
「スクリュードライバー」
・・・スクリュードライバー???
えっ ? スクリュードライバー
えええっ???
近頃、急に本を読むようになった。
ここ2~3年はほせいぜい年に数冊のペースだったが、ここ一ヶ月で10冊以上のペースで読んでいる。
紙の本ではない。いわゆる電子書籍である。
わたしの場合はiphoneで読む。
ipadが出た前後でずいぶん話題になったし、その後電子書籍の専用端末が出たりもしたが、なんといってもラインナップがもうひとつだった。
しかし、なんとか電子書籍の成功と拡大をのぞむ私は、若干不満の残るタイトルでもがまんして買い続けた。回りの人にも盛んに勧めたりした。
その結果、ここ2ヶ月くらいで状況がかわりはじめたような気するくらい、新刊や話題の本がラインナップされるようになってきた。
iphoneだと、どこでも読めるのがなんとても便利だ。
しかもネット上にいくつかある配信サービスから検索して、そのままダウンロードして読むことができるので、思ったときにすぐ購入できる。これは、音楽のダウンロードがCDを凌駕しつつあるのと同じことだろう。
そして決定的なことは、文字を自由に拡大できるということだ。
聞くところによると、電子書籍の先進国アメリカでの電子書籍のユーザーは若者ではなく、50歳upだという。
わたしと同じ老眼始まり世代である。
わたしの場合はコンタクトを付けた上に、老眼鏡をかけないと読書ができない。
でも、iphoneなら1cm角くらいの大きさにすることも可能なのだ。実に画期的に見やすい。
そんな事情がわたし以外にも日本中をかけめぐり、電子書籍の人気がじわじわとあがってきているのではないか?
そして、大手出版社もその現象を無視できなくなり、積極的に参画してきたのだろう。
ずいぶん前に、なんとなく、晩年のイメージを持ったことがある。
75歳くらいで、長期入院。家族はなし。
両親は当然だが、ヨメさんも先に看取ったということだろう。ヨメさは、いつもあなたが先と言ってはいるが、まあわたしの勝手なイメージだから‥‥
そして、毎日本を読んでいる。
身寄りがなくて本を買って来てくれる人がいないから、携帯TELで、本屋に注文するのだ。
毎日、毎日、本を読む。
医者が診察にきても、看護師が点滴をいても、本を読んでいる。
しかし、ご存知のように、あっという間にそのイメージは古くさくなり携帯電話からのWeb接続で楽天か注文することになるが、さらにスマートフォンになり、電子書籍をダウンロードするまでになるとは、さすがに想像すらしなかった。
あと25年あるから、もっともっと想像を絶する進歩があるのだろう。
医学も進歩して、最晩年が80歳くらいのイメージに伸びれるかもしれない。
iPhoneも進化してあたまに直接差し込むのかもしれない。
ちょっと、楽しみな気さえする。




 
お盆と言えばうちわのお菓子‥‥ですよね
関西では



お盆なので、朝からお墓参りにいく。
考えてみると、お盆に吉野にいるのは珍しい。
ここ何年かは、ずっと島根に帰っていた。
今西家の墓は五條駅を少し山てに登ったところにあり、電車で行くことも可能と言えば可能だ。
しかし、JRの和歌山線というのはとんでもなく使い勝手が悪いので、昔からそもそも選択肢に入っていない。
で、車で行くことになるのだが、お盆ってこんなに道が混んでたっけ?というくらいの渋滞に帰りに巻き込まれ、裏道に迂回したにもかかわらず、30分のところを倍の一時間かかった。
どうも、みんな川遊びが目的のようだ。
今年は、放射能の風評被害で、海が不人気。その分、山と川が人気らしい。
それはいいのだが、とにかく、交通インフラに問題のある吉野に車でくる時は十二分に調べてからくることだ。
と、言うより、調べて理解したら車でくる気にはならないだろう。
花見の季節には、渋滞にまきこまれて、バスの中でお弁当を食べている姿を見かけたと言う笑い話もあるのだが、今回も似たようなことになっているようだ。







吉野に住んでいる。
山があり川がある。
したがって坂がある。
というか、坂ばかりである。
たくさんの下り坂と同じ量の上り坂。
車がなくてはなかなか生活が成り立たないのだが、十五年まえに引っ越したときは父親が車を運転しないシチュエーションがやってくるとは夢にも思わなかった。
だが、それは当たり前のことだったのだか、車がないということの意味の理解度が、やはり地元で育った人たちと大阪市内で育ったわたしたちとは歴然にちがったということで、これは案外気づかなかったのだ。
しかたなく、父と母は公営のバスなどを使って買いものにいく。
でも、いいじゃんそのほうが健康のために、などと思うのだか・・・ううん、どうなんだろう。
そして、今日も今日とて、父は公営のバスで、車なら三分の町医者に薬をもらいにいき、帰りはプラプラとあるいて帰りがてら、特売品ということで、近所の肉やで買い物をしたという。
買い物の内容は、事前に母が電話で伝えており、父はそれを受け取るだけである。
で、肉やの主人は、わざわざ買いに来てくれたといい、そのあと家まで車で送ってくれたとのこと。
ううん、いなかの肉屋はここまでしないと、ダメなんだな。
で、今日はステーキ。
よく聞くと、グラム860円で、二百グラム×四人分。七千円?
オススメ=お買い得でないのだよ。母さん・・・
本人はあまり金額のことには頭がいってないようで、やはりいなかの店は親切よねぇとかいってる。
母も喜び、肉屋も喜び、夕食も美味で、少し胃がもたれた。

シルフの中山さんに事前にTELしたところ、少し前にバッグか何かを作ってる人が、布を大半買って行ったとのこと。
買いさらわれたと言いそうになったが、施設にとっては、もちろんいい話しなので、それはよかったですねと言っておいた。
というものの、こちらも布がなくては困るので、とりあえず伺いますと言うことで訪ねて見ると、ダイジョウブ ダイジヨウブ、まだまだ先客が見逃している宝物がたっぷりありましたよ。



久しぶりに難波の地下の串カツ屋さんに行ったのだが、少し不満の残る味だった。
衣が油っぽく、具も固いにで、ペロンと外れてしまう。
カラッと上がっていない分、香ばしさが少なく、味の奥行きがない。
なんと言うことだろう。
この頃食べ物屋さんへの不満が多い。
先月嫁といった天王寺の地下に最近できた串カツ屋さんも、ほとんど味のない串カツのわりに高かった。カウンターののれん串カツ屋さんなのに付きだしを出したりする。ビールグラスも冷えていない。
ところでここしばらく、テレビや新聞でのうっかりミスが話題になっていた。
会社でもチェックミスによる誤植が頻繁する。
総じてなぜかを考えるに、みんな忙しくて余裕が無いのだろう。
経費削減で一人一人の負担は増えるが、モチベーションは下がる一方なので、一つの仕事に対する処理時間は減る。
結局、やることが粗くなる。
串カツもそう。
結局一手間足りないのだ。
工夫をするには遊びゴコロが必要。そのためには時間と心の余裕が必要。
そして結果を検証する余裕がさらに必要で、これがモチベーションになる。
無い無いづくしの近頃で、ぼやいてばかりいても仕方ないのだが、串カツくらいは、うまいのを食わせてくれよと、言いたくもなるのだ。
たとえ30円のハムカツでもさ。
今日も手織り布の売り上げは好調で、2日で18mくらい売れている。
また、売れ方がいい。
比較的若い女性が、色々と悩んだあげくに買ってくれて、次もまたみにきます、と言ってくれる。
ここしばらくは、今時マフラーなんて1000円でそこそこのもんが売ってるしな…という空気だったのだが、少し潮目が変わった印象を受ける。
スタッフが、震災で温かさとか絆とかが見直されてるからじゃないでしょうかと言うが、確かにそうなのかもしれない。
いずれにしても、秋を迎える目に在庫がスカスカになってしまったので、来週は施設を訪問しなくては。
繰り返すが51才である
たいへん憂鬱である
考えてみれば、去年は節目の50才だったわけで、どちらかというとそのときブルーになるべきだったような気がする。
なぜ、今年なのか?
去年愚痴ったほうが、世間も納得したろうに。
そんなことはどうでもいいくらい、憂鬱だが、少し考えてみる。

いまの、しごとも含めた閉塞間もあるし、ここしばらくの体調不良もある
愛猫の死も多少は影響している(ごめんあき多少ではないよ!!)
修はあいかわらず朝五時につめをたてて起こしにくるし、プリンはあくびばかりしている。
ダイはほとんど顔をみせない。
しかし、これが悩みとすれば、世のおとうさんから一斉パッシングをうけるね。
のんきな50代じゃん。

では、なぜ今年なのか。
※五行目にもどる・・・・





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